証明済みの創価学会の謀略体質 共産党・宮本議長宅電話盗聴事件≠検証する!! (第8回)

                      
日蓮正宗六十六世日達上人への盗聴は池田が承認!
      共産党へは言論問題の報復で盗聴
 北条浩(創価学会四代会長=故人)以下、創価学会関係者四人を被告とする「日本共産党・宮本顕治宅電話盗聴」裁判は、八年間(昭和五十五年八月〜六十三年四月)続いた。  一審・二審とも、判決は被告側の全面敗訴だが、前回に引き続き、宮本顕治弁護団による「第一審最終準備書面」(昭和五十九年十二月)を紹介する。
 前回、同準備書面の中から「三、本件加害の特徴とその違法性」を記した。今回は、「2、池田大作、創価学会の社会的責任」からスタートする。
 「本訴訟においては、盗聴に関する不法行為責任の構成上、被告は北条浩以下五名にとどめられた。
 しかし、後に詳述するように、本件盗聴行為は、宗教団体創価学会の業務と別個に行なわれたものでな く、創価学会の業務として、その組織を使って行なわれたもので、被告らはその不法行為において中心的役割をになったものとして追及されているのである。
 したがって、本件盗聴行為の全体を考察するにあたっては、訴外ではあるが、当時の創価学会会長池田大作、および宗教団体創価学会の果たした役割を見ることが不可欠である」 とし、池田および創価学会の社会的責任を、次のように追及している。  「池田大作会長(現・名誉会長)は、創価学会の最高指導者として、同会の主要業務の最高決裁者・指揮者であり、かつ同会の行動はそうとう細部にいたるまで『報告書』によって池田会長まで集約されるシステムが確立されていた。
 本件盗聴の動機をなす言論出版妨害問題への対処においても、対策会議を行ない、陣頭指揮をとっている。盗聴という行為について も、法主である日達上人に対する盗聴では、池田会長が了解のうえ盗聴が行なわれており、日本共産党に対する盗聴についても了解していることが示されてい る。」
 ここに記されている「日達上人に対する盗聴」とは、昭和五十三年、創価学会が当時、信仰の対象にしていた総本山・日蓮正宗(静岡県富士宮市)の六十六世・細井日達上人(=故人)の会話を同会が盗聴したというもの。盗聴の現場は、「大石寺時局懇談会」の会場である。
 昭和五年以来、半世紀にも及んで信仰の対象にしてきた総本山のトップの会話を、密かに盗聴する。創価学会とは、いったい、どんな信仰団体なのか。その最高指導者が、池田大作氏である。準備書面は、こう断じている。
 「しかも、本件盗聴行為には、創価学会組織の指揮命令系統のもとに幾多の最高幹部にいたるまでが関与しており、創価学会の責任、およびその最高責任者である池田大作の責任が社会的に問われなければならないことは明らかである。」  たしかに、池田大作の責任は免れない。まして同氏は、世界平和、人権の重要さを世界中に訴えている平和主義者≠セ。その人物が指揮する組織が、悪質極まりない電話盗聴とは、もはやジョーク以外、何ものでもない。  まともな神経の持ち主なら、すみやかに謝罪し、即、引退するのが、宗教家として残された道である。
 それが現在なお、一言の謝罪もなく、相変わらず「世界平和だ、人権」だと訴えている。救いがたい人物だ。
 準備書面を続けよう。  同書面は、「ウォーターゲート事件と今日の法的確信」について記述した後、第二・本件電話盗聴の実態と各被告の関与と、本題に入っている。
 「背景および動機――言論出版妨害事件と創価学会らの対応  1、言論出版妨害事件とその経過  総選挙を控えた一九六九年(昭和四十四年)暮、創価学会批判の出版物に対する学会の一連の出版妨害が明るみに出、いわゆる言論出版妨害事件として、一大政治問題となった。  発端は、同年十二月十三日夜放映されたNHKの総選挙特集番組、二党間討論「日本の進路」(共産党―公明党)で、共産党側が、『創価学会を斬る』(藤原弘達著・日新報道出版部刊)、『公明党の素顔』(内藤國夫著・エール出版社刊)などの出版に際し、創価学会・公明党が著者や出版社に圧力・妨害を加えた問題を追及したことに始まる。  著者藤原弘達に対して は、公明党都議や創価学会幹部、さらには、田中角栄(自民党幹事長・当時)までが、出版をやめさせるために動いたほか、電話、ハガキによる脅迫が集中し た。
 出版元の日新報道出版部は、大手取次には配本を拒否され、新聞各社からは広告掲載を断わられるなど、大がかりな出版妨害にあったという問題である。  この討論での日本共産党の追及に対し、公明党正木良明(衆議院候補・当時)は、『すべてウソである』と公言。以後、日本共産党と公明党および創価学会の間で、言論の自由に関する激しい応酬が続けられることになる。
 これを契機に、かつて、同様の言論出版妨害を受けた著者・出版社等が、続々その被害の事実を明らかにし、創価学会の体質ともいうべき出版妨害の実態が厳しく追及されていく。」
 創価学会の驕(おご)りというか、同会の悪質な体質が、この言論出版妨害事件を端緒として、一挙に吹き出した。
 創価学会だけがすべて正しい、とする排他主義。そのため、批判する者は、力ずくでも押さえ込もう、というファシズム。そのうえ、責任を追及されても、最後までしらを切ろうとする、高慢かつ無責任さ。
 「当時、日本共産党機関紙『赤旗』がとりあげた、同様の言論出版妨害を受けた出版物は、主なものだけでも次のとおりである。
 ○『これが創価学会だ』(植村左内著・しなの出版社)に対する同様の妨害   ○『日蓮正宗・創価学会・公明党の破滅』(隅田洋著・東北出版社)
 ○『公明党を折伏しよう』(塚本三郎著・自費出版)
 ○『創価学会・公明党の解明』(福島泰照著・展望社)
 ○『創価学会――その性格と行動』(竹中信常著・労働法学出版)
 その他、悪質な言論出版妨害は多数の出版物に及んだ。
 翌一九七〇年一月五日、公明党竹入委員長は記者会見で『創価学会を斬る』『公明党の素顔』問題について、事実無根の中傷≠ニ全面否定の発言を行な い、この発言は創価学会・公明党に対する社会批判の火に油を注いだ結果となった。
 国会では全野党からの追及を受け、労働団体・宗教団体・学者・文化人などから一斉に批判と抗議の声が挙がり、新聞各紙もキャンペーンを開始したのであ る。」
 以下、準備書面は、言論妨害事件に対する共産党の追及と、創価学会の反撃の模様について触れた後に、こう記述している。
 「創価学会の対応の変化とその本質――策動的謝罪  (一)一九七〇年(昭和四十五年)五月三日、池田大作創価学会会長(当時)は、第三十三回創価学会本部総会で講演を行ない、その中で、言論出版妨害問題について、『言論妨害というような陰険な意図は全くなかった』と言いつつ、『言論妨害と受け取られ、関係者に圧力を感じさせ、世間に迷惑をかけたことについて』『二度と同じ轍を踏まぬと猛省する』『民衆の権利である、言論の自由を守りぬくことを学会の総意として確認したい』と、いわゆる『謝罪講演』を行なった。また、共産党に対する態度として、『現在、共産党と学会が常に敵対関係にあるかのような印象を世間に与えているのは、共産党の創価学会に対する攻撃から、防衛のため、こちらとしても反撃せざるをえなかったから』などと弁解しつつ、『我々はかたくなな反共主義を掲げるものではない』『私どもの意向としては、こうした無益な争いは絶対にやめるべきである』などと、宗教の次元に立つ学会が、政党と同次元で争うことをすべきでないという態度表明を行なっ た。
 これらの意思表明は、文字どおり受け取るなら、政教分離の方向とともに、創価学会の『反省』の表明としては、それまでの姿勢から一歩を前に進めたものであった。
 しかし、その『謝罪』講演は、その言葉とは裏腹の、策動的『謝罪』ともいうべきものであった。このことは、その後の公明党・創価学会の政教一致の実態や、変わらぬ反共主義を見るまでもなく、当時この『謝罪』講演への方針変更、そして講演原稿の作成に深く関わった被告山崎正友自身の供述が、そのいきさつを明らかにしている」 とし、当裁判の山崎正友被告尋問によると、池田の「謝罪」は、  「日本共産党の徹底した追及や野党・労働団体や民主団体、広範な国民の高まる批判に、逃がれようもなく追い詰められ、『たまらない』『思い切って頭を下げる方が得策』と選んだ方策でしかなかったのである」 と、断じている。  国民をなめきった池田の「謝罪」だが、  「このような状況の中で、本件原告宅電話盗聴の謀議計画・準備が進められたのである」 と、準備書面が続いている。       (以下次号)


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