ジャーナリストの見た創価学会

裁判で明らかになった危険な体質

ジャーナリスト 山田直樹氏


単なる宗教戦争でない!! 「偽造写真裁判」の判決に思う
写真を偽造・掲載した邪悪な意図 訴訟乱発も目的のための手段
クロウ夫人による「シアトル事件」物語 日顕上人を標的とした事件の概要
次々と浮かび上がる疑問点 唯一の証人(!?)現場に不在と判明
”事件”裏付ける公的書類は皆無!証人に偽証させた(?)学会弁護団
訴訟教団・創価学会の懲りない体質 信用できぬ「平和」「人権」

単なる宗教戦争でない!! 

 「偽造写真裁判」の判決に思う

皆さん、こんばんわ。私は、週刊文春という雑誌の記者をしております、山田直樹と申します。  じつは被害者の会の皆さんには、今をさかのぼる五年ほど前、私共の雑誌でアンケート調査をさせていただいたことがあります。この時は、約三千名の方のア ンケートを紙面に掲載することができました。  この中にも、その時にご協力していただいた方が、多数おられると思います。まず、そのことに関しまして、お礼申し上げたいと思います。ありがとうござい ました。  それから五年ほど経ったわけですけれども、じつは「創価学会による被害者の会」というのは、本来ならば、創価学会がこれほど悪さをしなければ、今頃無く なっていなければいけないんじゃないか、と思うくらいです。  私は、創価学会の信者でもございませんし、日蓮正宗の信者でもないんですけれども、創価学会の問題に最初に関わったのは、だいぶ昔の話ですけれども、竹 やぶの金庫事件というのがございまして、この時は、創価学会の聖教新聞社の中から持ち出された金庫が捨てられていて、その中から大金が出 てきたわけです。 皆さんもご記憶におありだと思います。  この頃は、創価学会というものが、いったいどういうもので、どういう組織なのかということが、まだ自分自身もよくわかっていませんでした。ここにおられ る原島さんにも、その当時の記者はたいへんお世話になっているわけですけれども、それから約十年ほど経っているわけです。  その後、私が直接この学会問題に関わりだしたのは、九一年、九二年の、日蓮正宗宗門から創価学会が破門されて以降の、創価学会と日蓮正宗との間に起こっ たさまざまな出来事を見る中で、これは単なる宗教戦争ではない、という確信を持つに至りました。  それは、皆様方が本当に現場で実感されていること、そのものなんですけれども、昨年の十二月に、この『自由の砦』にも大きく掲載されていますけれども、 「写真偽造事件」というものの判決が出ました。  これも非常に長い裁判で、最終的な判決の時の、創価学会の人達の意気消沈ぶりというのも、なかなかおもしろかったんですけれども、この判決が画期的だっ たのは、池田大作氏に損害賠償責任が認められた、という点です。  この点が、いかに彼が名誉会長という職にあっても、実質上は指導者であるという、昔の「月刊ペン事件」の最高裁判決を踏襲した、そしてまた、新しい判断 を下したもので、これ以降、何か創価学会に違法行為があった場合には、直接、池田氏の責任が問われるという、そういう前例を作った判決に なろうかと思いま す。

写真を偽造・掲載した邪悪な意図

 訴訟乱発も目的のための手段

じつは、裁判といっても、いろいろな裁判がございますので、特に 民事の場合は、勝ち負けというのは非常に難しい――刑事事件ではございませんので――、実際にこの訴訟が勝てるのか、どうか、というの は、私は非常に不安 なところがありました。  この訴訟というのは、皆さんご承知のとおり、日蓮正宗の阿部日顕上人が高僧の古希祝いに出席されたときの写真を、意図的にトリミングして、周りの人物を 消し、それがあたかも芸者遊びであるかのように、『創価新報』『聖教新聞』等に掲載した、このことが名誉毀損である、という訴訟が日蓮正 宗側から起こされ たわけです。  これは、写真を見れば一目瞭然なんですが、私が驚いたのは、その判決の下った次の日、『聖教新聞』に載った創価学会の宮原弁護士のコメントですね。彼は そこで何を言ったか、というと、「これは不当判決である」と、どこが不当かというと、「その写真以外にいろいろな事実を提示しているのだ から、そこだけに 限って判断するのはおかしい。即刻、高等裁判所に控訴します」というようなコメントだったわけです。  それ以降、「写真偽造事件」に関して、『聖教新聞』『創価新報』等に、その判決文なり、また反省というものが一文も載らない、というのが実際でございま す。  しかし、これは誰が見ても、意図的に、何かの意図を非常に強調するために、トリミングないしは背景を塗りつぶす、こういう行為を平気でやっているわけで す。  判決文の中で非常に重要なのは、この写真が何を提示しているのかわからない、つまり、この写真の状況をきちんと説明するキャプションがどこにもない、と 指摘されているわけです。これは、いったい何になるかというと、単なる悪意、中傷、当てこすりである、と。  つまり、写真をそういう形で載せても、これがいったい、いつの、どんな写真なのか、という説明がまったくなかったわけですね。それだけ見ればわかるだろ うとばかりに、??阿部日顕上人の芸者遊び?≠ニいうことで、写真が載ったわけです。  これを、もし我々ジャーナリズムが同じようなことをやりますと、まさしく名誉毀損そのものになるわけで、たとえば週刊誌にそういう記事が載ったりすれ ば、これは我々の尺度から考えても非常におかしい、まさに名誉毀損そのものなわけです。いったい、いつの、どのような場での写真か、とい うことをまったく 伏せたまま、しかも写真に意図的に手を加える形で、その写真によるキャンペーンが作られた。 ここに表われているのは、創価学会が目的のためにどういう手段をとるか、ということの、一つの例だと思います。  こういうことは、他の裁判においてはいろいろ行なわれておりまして、とくに九一年、九二年以降、日蓮正宗のお寺などでお聞きになられたこともあるかと思 いますが、日蓮正宗のお寺に対して、七十四ヶ寺ですけども、墓地埋葬法等違反ということで、学会側から連続的な攻撃がかけられました。  もちろん、墓地というのは、基本的に骨が犯罪を犯すということではないわけですから、管理がきちんとしていれば、行政は追認していくわ けですね。現に、 死者はどんどん増えていくわけですし、墓地というのは、住宅と同じように、どんどん必要になってくるわけです。そして、その管理に手落ち があれば、これは 違反になるわけです。  で、この時にも創価学会は訴訟を連発しましたけれども、結局、刑事事件で彼らが大々的にキャンペーンを張った、そのうちの一ヶ寺も起訴されなかった、こ れが事実です。  そのことをもう忘れたかのように、末端の会員さんが、「大石寺の正本堂を破壊したことが重大なる損害賠償の対象である」というような訴訟を連発していま す。  これは、おとといも豊橋や神奈川、そして八王子、富士と続いていますので、おそらく今年は、この訴訟が全国的な流れになると思います。  必ず、そういう意味で、学会がアクセルを踏んだ時に、訴訟を連発してくる、という傾向があるわけです。  それは、元を正せば、最初に日蓮正宗から破門されたときの、彼らの対応の仕方、これの繰り返しがまた行なわれようとしていて、自自公政権のもと、また新 しい攻撃が、創価学会のいろいろな人権侵害と闘っている方達に、今、かけられようとしている。このことは、私達ジャーナリズムとして、見 過ごすことはでき ないと思います。

クロウ夫人による「シアトル事件」物語

 日顕上人を標的とした事件の概要

そこで、今日は、その中で一番ポイントになっている、阿部日顕上人がターゲットとされた「シアトル 事件」のことについて、お時間をいただいて、お話をさせていただこうと思います。  私が、こういうものがあるんだということを知ったのは、恥ずかしいお話なんですが、九五年なんです。  その当時は、まだまだ、この事件そのものは、日本によくある、お坊さんだったらそういうことをするんではないか、というような、そういう偏見といいます か、予断といいますか、そういう中に位置づけられていたものなんですけれども、実際に、裁判の資料を読んで傍聴に行ってみると、この 事件はとんでもない デッチ上げでフレームランプである、と感じざるをえなくなってきた。  そして、私、昨年の秋に、シアトルにも実際に行ってきたんですけれども、その中でも、いくつかの疑問点が挙げられます。  もともと、この事件は、一九六三年の三月二十日の深夜に起こったとされる事件でして、当時日蓮正宗の教学部長だった阿部日顕上人が、初めての出張御授戒 ――つまり日蓮正宗の信者になるための儀式――を、アメリカの創価学会員に対して行なってほしい、という要望があって、初めての渡米 ということで、一九六 三年にアメリカに赴いたわけです。  この時は、今の阿部日顕上人と、大村さんという高僧の方、お二人で、二つのコースに分かれて、アメリカ中の創価学会員の所を回って、御授戒を繰り返しま した。  その中で、シアトルで阿部日顕上人が、泊まっているホテルを抜け出して、単身、売春街に行って、そこで売春婦とトラブルを起こした、と。  このことを告発者したヒロエ・クロウさんという学会員は、日本人ですけれども、この人は現場は見ていないわけですね。  大事なことですが、クロウさんがこの事件をなぜ知ったかというと、事件現場にパトロール中の警察官が行って、そこでトラブルになっている阿部上人を保護 したところ、阿部上人がメモを出した、と。そのメモに書かれてあった番号に電話したら、クロウさんが出た、と。  そして、これこれこういう人を保護しているんだけれども、という話を警察がしたら、クロウさんはそこに車で赴いた、と。そして、クロウさんは、その警察 官に、「身代わりになって私がシアトルの警察に行きますから」ということで、その現場で書類にサインして、阿部上人を解放してもらっ て、ホテルに送り届け て、朝方、シアトルの警察に出向いた、と。  そこで、阿部日顕上人は、売春婦と買春行為を行なっていて、買春料金のトラブルでこういう事件になった、ということを警察官から聞かされた、と。  大まかに言うと、クロウさんはこういう主張をしているわけです。  これは一九六三年で、告発した年から考えますと、二十九年前の出来事なわけですね。  これを、非常に大きなテコとして、創価学会は日蓮正宗の宗門に対する攻撃を仕掛けてきました。  これは、皆さん方、私などよりも、よくご存知だと思います。  問題は、これが果たして事実であるか、ないか、ということなんですけども、いろいろな点で、とても事実とは考えられない。疑わしい、いろいろな要素が出 てきたわけです。

次々と浮かび上がる疑問点

 唯一の証人(!?)現場に不在と判明

私達は、ジャーナリズムに携わる者として、やはり双方の言い分を 聞かなければ、その事実関係というものはわかりません。残念ながらクロウさんは、東京地裁での三回目の証人出廷の寸前に、自宅でガンで亡 くなり、現在、本 人から真実を確かめる手だては残されていないわけです。  話が前後しますが、その現場にいたという警察官を、創価学会は見つけるわけです。この人が、唯一、今、事実を語りうる立場にあるわけですけれども、じつ はこの警察官が、その当時は軍務についていて、シアトル警察にいなかった、ということが、公的な書類、いくつもの書類によって確かめられ ました。  つまり、シアトル市警で、一九六三年の三月二十日の早朝、パトロールカーに乗れるはずがなかったわけです。  クロウさんは、その人から話を聞いたということで、ストーリーを告白しておりますので、常識的に考えれば、このストーリーは破綻した、としか考えざるを えない。私はそう思っております。創価学会側は全然違う考え方をお持ちのようですけれども。  この事件のおかしな点をいくつか挙げさせていただきます。  シアトルの現地に行って、よかったなという点がありました。それは、売春街というと、たとえば東京に昔あったような、「抜けられます」というような看板 が出ている、いわゆる赤線街、青線街というイメージを、おそらくこの事件のストーリーを聞いた方は、思い浮かべると思います。  ところが、事件の現場となっていた交差点の近く、七番街なんですけれども、ここは一九六三年当時、まったくそういうものはなかった。もっと違う場所だっ たんです。  したがって、六三年当時、こうした事件は、そこではほとんど起こっていないんですね。  現場となったところが、いわゆる、そういう繁華街になるのは、それから二年も三年も経ってからです。  それと先ほど申し上げましたけれども、「抜けられます」という、何かこう、狭っ苦しい路地の中を抜けていくと、両方に飾り窓があって、というようなイ メージを抱きやすいんですけれども、シアトルの街というのは、当時、ハイウエイの工事をしていまして、非常に見晴らしのいい、今のような 高い建物は建って いない街だったんです。そして、ブロックごとに大きい建物がありまして、その大きい建物と建物の間には、小さい道がないんです。これは創 価学会も、その点 は知っていたと思います。  大きい建物と大きい建物、つまり、ビルとビルとの間に隙間がなくて、ビルが林立している形になります。ですから、その間に、何かこう、いかがわしい街が あるという、そういうレイアウトではないわけです。  これは、街の造形上、そうなっていまして、ここでそういうことが起こったということは、非常に考えにくいことなんですね。  で、もう一つ。ここは非常に重要な点なんですけれども。  アメリカの売春行為というのは、料金先払いが原則ですが、クロウさんのストーリーでは、料金のトラブルをめぐって、売春婦が阿部上人に対して非常に文句 を言って、襲いかからんばかりだった、という話が出てくるわけです。  料金を後になって払うというのは、日本的な発想でありまして、アメリカじゃ、非常に考えにくい。  しかも、東洋人であって、丸坊主の姿であって、「いい身なりをしていた」とクロウさんは言っているんですけれども、そういう方がトラブルに遭った時に、 そのままの状況で警察に保護される、というのは、どう考えてもありえないことではないかと、私も思います。  つまり、阿部上人は警察官に保護された時に、オーバーを着て、ネクタイも締めて、現金やカメラも持って、それから靴も履いていたわけですね。  トラブルに遭ったら、わざわざ警察官が目の前やってくる前に、取るべき物は取って逃げるのが、普通の売春婦の対処法といいますか、想定 すべきパターンだ と思います。それが、わざわざ通りに出てきて、しかも阿部上人は、その時、そういう身なりをしていて、持ち物も何も取られていなかった、 と。  ここは、裁判を傍聴していまして、非常におもしろかったわけですけれども、いわゆる日蓮正宗側の弁護団・代理人は、「ネクタイは締めていたんですね」 「靴の紐は付けていましたか」ということを、子細に尋ねています。  しかも、この時、持っていた阿部上人のカメラは、奪取されなかったわけですけれども、そのオリンパスのカメラにはストロボも付いていなかったわけです。  当時は、まだまだフィルムの性能もよくないですから、夜間に撮影するとか、売春婦のヌード撮影を強要したとかいう話も、成立しえない話 なわけです。

”事件”裏付ける公的書類は皆無!

証人に偽証させた(?)学会弁護団

 こういう、事件そのものの、現場での矛盾点、というのは非常に 大きい。もし、こういう事件を本当に告発するならば、それにまつわる物理的な証拠、つまり客観的な書類とか、あるいはそういうものの記録 が、裁判の中で提 示されてもしかるべきでなのではないか、と私共は考えるわけです。  先だって、『週刊宝石』という雑誌で、沢たまきさんが新宿のゲイバーの、オカマというか、そういう方と、どうこうしたという話がありましたけれども、あ あいう記事を作る場合は、それを裏付ける書類・証拠みたいなものがないと、現実的に仕事をする上では非常に危険である、という判断をせざ るをえないわけで す。  ところが、このクロウさんの告白の中には、こういう下りが出てきます。  彼女は四枚の書類にサインした、と言っているわけです。それは先ほども申し上げた現場での一枚と、シアトル市警察で三枚の書類にサインした、と。  その書類に、先ほど起こった事件のことが書かれていたという点と、御自分の主人の――海軍の将校だということなんですが――ことを記し た書類にサインし て、と言ってるいわけです。  ところが、裁判は十二月七日に結審しましたけれども、そういうものは、一切出てこない。つまり彼女の証言を裏付ける書類は、何も出てこなかったわけで す。  しかも、これも、ご記憶におありかと思いますが、九五年の一月に、阿部日顕上人の犯罪記録ファイルが連邦政府内のどこかに残っている、という情報を得た として、創価学会が大キャンペーンを張りました。これは別立てで、日蓮正宗が原告となって裁判をしているんですが、この記録書類なるもの も出てこない。  で、創価学会側は何と言っているかというと、それは消された、と言っているわけです。  自分達がそういう書類を入手もしていないのに、「あった」というキャンペーンを張って、そして「出せ」と言われれば、「無い」と言っているわけです。  この裁判は、先ほど申し上げましたシアトル事件と併合されまして、三月の二十一日にこの判決が出ます。  繰り返しになりますけれども、公的な書類、公的な記録として、創価学会が主張するヒロエ・クロウのストーリーを補強する物は、一切、出ていない。出てい る物は何かといいますと、これは宣誓供述書といって、「クロウさんの話は本当です。私も聞きました」とか、あるいはスプリンクルという警 察官の同僚の話と か、人の話は出ています。しかし、公的な書類は何も出ていない。  スプリンクルの方に話を戻しますが、彼は、発見された当初から、創価学会側の弁護士から謝礼をもらっています。アメリカでは、毎月、そうとうな額になる 報酬です。彼は年金生活者でしたけれども、大きな別荘を建てました。  つまり、証人なのに、クロウさんの代理人に雇われた形になっている。これは、日本の通常の裁判では考えられない話です。  スプリンクルさんは、創価学会側に発見されるわけですけれども、この時に、おそらく、創価学会側の弁護団は、スプリンクルさんの身上をかなり調査したは ずなんです。そして、私が先ほど申し上げました、その時は彼は軍務に就いていたという記録を、おそらく入手していたと思います。  つまり、その事を承知の上で、彼に偽証させたのではないか。  こうなってくると、単なる思い違いのレベルにはとどまらず、法と正義に仕えるべき弁護士が、人をして偽証をせしむるという、とんでもないことをしている わけです。  この点も非常に強調しなければいけない点で、私達、これは信者とか非信者とかいうことは関係なく、ファクトという事実で見ていきますと、このようにおか しな点がいくらでもあるわけです。 シアトル事件そのものは、他にもいろいろな点で矛盾があります。  創価学会側は、阿部上人の手帳の問題とか、あるいは、その時フリーウエイが工事中で通れなかった、という宗門側の主張に一部矛盾があったところをとらえ て、反論していますけれども、本筋論としては、ヒロエ・クロウさんの話を裏付ける、ただ一つの証拠も出ていない。それでも彼らは、この主 張をやめず、そし て、これは真実だ、と言い続けてきました。  それに対する判決は、三月二十一日に出るわけですけれども、この裁判は、今までいろいろな形で創価学会がキャンペーンに使ってきた最大の材料だと思いま す。  私の手元に、古い本ですが、『日顕宗悪僧列伝』という本があるんですけれども、その内容といえば、阿部日顕上人に結びつけて、僧侶は悪である、遊んでい る、湯水のように金を使っている、このような者に仕えている信者はかわいそうだ、というキャンペーンなわけです。最近は救済運動というの をやっているらし いですけれども、本来、救済されるべきはどちらか、と私も考えますけれども……。ともかく、この裁判は、そういうキャンペーンの一番大き な要として使われ てきたわけですから、この判決は、ぜひ、注目していただきたいと思うんです。  民事裁判でも、これほどの偽証が行なわれるというのは、東京地裁でもあまりないことだ、とある弁護士がおっしゃっていました。

訴訟教団・創価学会の懲りない体質

 信用できぬ「平和」「人権」

 シアトル事件・クロウ裁判というのは、足かけもう五、六年、六 年ぐらいになる、非常に長い、長い裁判で、そのたびごとに、いろいろな方達が傍聴に来ます。  時間もあまりないんで、そのお話を最後にさせていただきますけども、じつはクロウさんが、最初に法廷に来たときには、柏原ヤスさんという方が傍聴席の一 番前に陣取っていました。ところが、自分達が、証言上まったく不利だというときには、傍聴人は全然来ないんですね。  それで、阿部上人が出廷するとなると、東京地裁を二重三重に、オウム裁判を上回るような動員をかけてくるわけですね。ところが、中に入ると、隣で傍聴し ている創価学会員も――おそらくこれは本部職員や青年部の諸君だと思うんですけれども――寝ていたりするわけです。  ひとつ記憶に残っていることですけれども、阿部上人の出廷が決定したときに、創価学会側は、これで、おそらくこの裁判は宗門側が取り下げるだろう、と考 えていたようですね。 それで傍聴していた学会の広報担当者が、「うちは和解に応じませんからね」と、一言私に言ったわけです。和解に応じる、というのは、もとより非常に不思議 な話なんですけれども。  ところが、阿部上人が出廷して、きちんと証言されて、非常に嫌がらせの反対尋問がありましたけれども、それにも耐えて、最終的に昨年の段階で、軍務休職 していたスプリンクル証人の事実が判明して、かなり、彼らは窮地に立っているわけです。  ですから、このように、裁判が後退局面にあって、しかも冒頭で申し上げました偽造写真事件で敗北し、なおかつ墓埋法の裁判も、ほぼ九〇%以上ですけれど も、日蓮正宗側が有利な和解も含めて勝っているわけですね。  こうして、非常に低調になってきた時に、カツを入れようとして、今回のように、正本堂の問題で、また訴訟を連発してくる、と。何年経っても、懲りない手 口です。  これはもう、相も変わらぬ訴訟教団としての創価学会の体質だと、私は思います。ですから、創価学会の裁判というのは、細かい裁判もいろいろありますけれ ども、ぜひ、機会があれば皆さんも傍聴に行かれた方がいいんじゃないかな、と思います。  とくに、墓埋法などで負けた、原告の方達の一部は、何のために自分達は原告としてその訴訟を起こしているんだか、いまだによくわかっていない方もいらっ しゃるわけですね。つまり、入れ知恵した人間が、おまえが原告になれ、ということでやっているわけです。  これはやはり、組織に使われている、そしてそれが池田センセーのためになる、ということでやっているわけですけれども、敗訴になったら非常に惨めになる わけですね。  また、墓埋法で裁判を起こした原告の中には、「骨を返せ」と主張してきたのに、いまだにお寺に骨を置きっぱなしであったり、「お墓を改葬する」と言った のに、そのままであったり、もう放りっぱなしの人もいるわけです。  これは本来、彼らが起こした訴訟の趣旨からすると、著しくその趣旨に反していることだと思います。  先祖に対する敬慕追悼の念をふみにじるような訴訟を平気で起こす、それから事実関係を曲げて、先ほど申し上げたようなシアトル事件のような話をデッチ上 げる――創価学会の真の姿がここに凝縮されているわけです。  ですから私は、いくら創価学会が「他宗・他教団とお友達になりましょう」と言ったり、あるいは「平和」であるとか「人権」であるというような話をして も、この問題があるかぎりは、ジャーナリズムとして、その言葉は信用できない、と。それが原則的な立場です。 本当に反省する人がどんどん増えて、訴訟を取り下げて、やめていただく、ということを願ってやまないんですけれども、おそらく、そういうことにはならない でしょう。  まだまだ、これから長い長い彼らとの戦いが続くと思うんですけれども、これからは本当に皆さん方、一人ひとりが、創価学会というものに対して、毅然とし た態度と行動をもって、彼らの偽善性をきちんと暴いていくところにかかっている、と思います。  私達は、雑誌ジャーナリズムとして、大新聞にできないことをやっているわけですけれども、さりとて、なかなか我々も非力でございまして、裁判の報告をす るのが精いっぱいというところがあります。  それにしても、三月二十一日の判決、もちろん裁判ですから、これは負ける可能性も、勝つ可能性もあります。どちらともいえませんが、今まで冷静・客観的 に見たところでは、どうみてもクロウさんのお話というのは、矛盾に満ち満ちていて、しかも、証人が偽証を行ない、ニセ証人だった、という 疑念が消せませ ん。この点は、ぜひ皆さんの脳裏の中に記憶に留めていておいていただきたい、と思います。  今日は、私のこのような話を聞いていただけるような機会をいただきまして、本当にありがとうございました。(拍手)

 

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